二国間情報
ブロニスワフ・コモロフスキ大統領(Mr. Bronislaw KOMOROWSKI)
1 生年月日 1952年6月4日、オボルニキ・シロンスキエ生まれ
2 学歴 1977年 ワルシャワ大学歴史学部卒業
3 職歴
1977-80年 カトリック系独立紙「普遍的な言葉」紙集部 1980-81年 「連帯」社会調査センター勤務 1981-89年 ニェポカラヌフ修道院神学校教員 1989-90年 閣僚会議(内閣)府 ハル無任所大臣秘書室長 1989年- 下院議員(6期連続当選) 1990-93年 国防次官 1993-94年 政党「民主同盟」(UD)事務総長 1994-95年 政党「自由同盟」(UW)事務総長 1997-2000年 下院国防委員長 2000-01年 国防大臣 2005年-07年 下院副議長 2007年- 下院議長 2010年- 大統領代行兼務 2010年8月- 大統領
4 家族構成:
アンナ夫人との間に5子。
5 参考情報
(1)社会主義時代には,地下出版関与等において反体制運動に参加。1981年12月の戒厳令では一時拘留される。1981年の戒厳令後は,修道院の教員として約8年間雌伏の時期を過ごす。
(2)体制転換後に政界入りした後は,国防畑を歩み,国防次官,国防大臣の他,下院でも国防委員会に所属経験あり。同議長は,外交委員会に所属するなど外交面にも明るく,「法と正義」(PiS、現最大野党)主導政権下(2005年~07年)では「市民プラットフォーム」(PO、現第一与党)の「影の外相」を務める。外交・国防政策では対外強硬的な発言もするが,政治姿勢は柔軟であり,人柄は温厚で信頼が厚いと言われる。
(3)当初2010年秋に実施予定であった大統領選挙に向けた「市民プラットフォーム」(PO)における予備選挙において,シコルスキ外相を破り,POの大統領候補に選出。大統領機墜落事故により6月に繰り上げ実施となった大統領選挙にPOより出馬。レフ・カチンスキ前大統領の双子の兄であるヤロスワフ・カチンスキPiS党首を破り、2010年8月、大統領に就任した。
(4)大統領就任後,ポーランド国民から最も信頼される政治家として評価されている。
ドナルド・トゥスク首相(Mr. Donald TUSK)
1 生年月日 1957年4月22日、グダンスク生まれ
2 学歴 1980年グダンスク大学人文学部卒(歴史専攻)
3 職歴、団体歴
1980年 グダンスク大学に反体制系の独立学生連盟設立 1980-81年 独立系出版社「沿岸出版」編集員、「自主管理」誌記者 1980-89年 自主管理労組「連帯」所属 1984-89年 建設労働者 1991-93年 下院議員 1991-94年 政党「自由民主会議」党首 1994-2000年 政党「自由同盟」副党首等 1997-2001年 上院議員(上院副議長) 2001年~ 下院議員 2001-05年 下院副議長 2003年~ 政党「市民プラットフォーム」党首 2007年~ 首相
4 家族構成:
マウゴジャータ夫人(Mrs. Malgorzata Tusk)との間に一男一女。
5 参考情報
ポーランドの少数言語グループであるカシューブ人の家庭に生まれる。大学卒業後、体制転換までは「連帯」運動等の反体制活動に加わる。1990年、ビエレツキ元首相等、同じグダンスク地方の若手政治家と共に政党「自由民主会議」を設立、一貫して政治的には中道・右派で、経済政策ではリベラルな方針を維持してきた。
2001年にオレホフスキ元外相等と「市民プラットフォーム」(PO)を設立し、2003年からは党首を務める。これまで二度有力政党の党首を務めながら党務第一で活動し、閣僚等の役職経験はなかった。2005年大統領選挙では、カチンスキ現大統領に僅差で敗北した。 2007年の総選挙で第一党の党首となり,その後首相に就任。2011年の総選挙でも第一党を維持し,ポーランド民主化以降初めての2期連続政権となった。
エバ・コパチ下院議長(Ms Ewa KOPACZ)
1 生年月日 1956年12月3日 スカリシェフ生まれ
2 学歴 1981年 ルブリン医科大学医学部卒
3 職歴
1985-2001年td> 健康管理施設勤務 1998-2001年 マゾビエツキエ県議会議員(自由同盟(UW)所属) 2001年- 下院議員(「市民プラットフォーム」(PO)所属:ラドム選挙区)(4期連続当選) 2006年- POマゾビエツキエ県支部長 2006-2007年 下院健康委員長 2007-2011年 保健大臣(トゥスク政権) 2011年11月- 下院議長(初の女性下院議長)
4 家族構成:
一女
ボグダン・ボルセヴィチ上院議長(Mr. Bogdan Borusewicz)
1.生年月日 1949年1月11日、リズバルク(ヴァルミア・マズール県)生まれ
2.学歴 1975年 ルブリン・カトリック大学歴史学部卒
3.職歴
1976年 「労働者擁護委員会」(KOR)メンバー 1977-78年 「自由労働組合」(WZZ)沿岸地区組織委員 1978-80年 地下出版誌「ロボトニク」編集員 1980-81年 自主管理労働組合「連帯」グダンスク支部評議員 1982-88年 地下「連帯」メンバー 1989年 「連帯」グダンスク支部長 1991-2001年 下院議員(3期) 1997-2000年 内務・行政次官 2005年~ 上院議員(3期) 2005年-07年 上院議長(3期) 2007年~ 上院議長(3選)
4 家族構成:
一女
5 参考情報
敬虔なカトリックで社会主義体制に反対する家庭に育ち、旧体制でも独立色の濃かったルブリン・カトリック大学を卒業後、一貫して反体制活動に従事。当時はクーロン元労相等と共に当局から最もマークされた一人であり、現在もメディアでは「伝説的な『連帯』活動家の一人」と紹介される。普段は温厚で人々の信頼が厚いが、社会悪に対しては極めて強硬な姿勢を示す。
2001年総選挙で下院に落選した後は、地元グダンスクで草の根的な活動に従事。2005年に上院議員となってからは、政治的には中立的な立場を維持していたが、2007年及び2011年の上院選挙で市民プラットフォーム(PO)リストから立候補して当選。

