本年、日本美術学術博物館は設立20周年を迎えます。この20年間を経て、日本の様々な側面を皆様に紹介できるよう努力し、その目標を達成したと思います。当館を訪れる来客者数がその一番の証拠です。今後20年も、同様に実り多いものになることを期待しています。
Manggha博物館の活動は、我々のパトロンであり、日本美術の専門家であるフェリックス・マンガ・ヤシェンスキ氏の理念に基づいています。Manggha博物館は創設当初から、フェリックス・ヤシェンスキ氏の理念と、日本とポーランドが出会い、日本の伝統と最新技術が融合する場を作りたいという創設者アンジェイ・ワイダ監督の理念を実現させるために努力しています。
そのため、博物館では、一般大衆から専門家向けまで幅広い活動を行っています。茶道、盆栽、折り紙といった広く知られている伝統文化のほか、伊勢形紙、和菓子、能、狂言、文楽、上方、引き札、平家琵琶、八雲琴、舞楽法会、新内、落語等のユニークな行事も開催されてきました。ポーランドと欧州の観客からは、常に高い関心が寄せられており、それは、知的・文化交流の促進、新たなテーマや領域、展示方法のさらなる探求へと繋がっていきます。
このような多岐にわたる活動の基盤には、著名な建築家・磯崎新氏が設計した建物があります。近代的な博物館機能と世界的な傾向に沿って、斬新な展示スペースと機能的な倉庫の他にも様々な要素が設計に生かされています。大きなメインホールには、茶室や店舗スペースの他に、来客のための「フレンドリーな交流空間」を設けられ、またロビーと公演ホールでは、様々な行事の開催が可能です。メインホールには、博物館のデザインの基となった磯崎新氏のスケッチが展示されています。
博物館の幅広い活動の中でも最も重要な位置を占めるのが展示です。日本の伝統・現代美術、ポーランドのジャポニズム、日本の技術、ヨーロッパとポーランドの美術展等が開催されます。特に、フェリクス・ヤシェンスキ・コレクションの浮世絵展示は、常に高い関心を集めます。これまでの、代表的な展示として、「富士山」「北斎と広重」「別の視点から見た歌麿」「忠臣蔵」「江戸百景」等が挙げられる。過去20年間に、100件以上の展示が開催され、その内容は、着物・伊勢形紙・陶磁器等の伝統芸術から、グラフィック・絵画・インスタレーションの現代作品まで広がります。また、技術展示も定着しており、トヨタ、三菱、富士通、キャノン、日立、スズキ等の協力を得た展示も開催しました。
日本のアーティストや科学者、ポーランドやヨーロッパ、アメリカの名門大学講師による講演会も活動の一環として開催されています。ピオトル・クレトフスキ博士による「日本映画アカデミー」のように上映会を伴う講演は大変好評で、東洋文化に関心のある観衆が大勢集まります。クラクフやポズナン、トルン、ワルシャワの大学と協力し、数多くの学会を開催する場としても知られています。
日本文化の様々な側面を分かりやすく紹介する行事はいつも人気を博します。博物館では、山口悦子先生のご尽力によって、裏千家淡交会洗心協会が発足されました。また、2007年には、15代千玄室裏千家大宗匠をお迎えする機会をいただきました。数年前から開催されているミヤノテルコ先生の生花教室や、ポーランド盆栽協会協力の下、盆栽展も毎年開催されています。そして、2013年には、松浦有成氏を来賓として迎え、国際水石展を開催。これまでに、囲碁と将棋の国際大会も開かれています。
近年とても高い評価を得ているのが教育活動です。子どもの日、日本の昔話シリーズ、学校向けの様々な教育広報、幼稚園児から大学生のため日本文化ワークショップ等が定番となっています。また、「足下の畳」と「侍の世界への旅」といった教育展示も好評を博しました。敬老の日、子どもの日、七夕、月見等の日本の祭りにちなんで、特別な講演やワークショップも開催しています。
2004年に創設され、複数のレベルで学ぶ日本語講座のほか、書道・生花・茶道・盆栽講座も開設されています。日本語の指導には、経験豊かな教師が当たります。また、学校内には、一般に公開されている図書室やワイダ監督の資料館があります。
博物館では、著名な劇団による公演だけではなく、「幽玄への誘い」等の展示等を通じて日本の演劇を紹介しています。また、能役者でもあり、ポーランドにおける日本演劇の先駆者としても知られる松井彬先生の活動も広く知られています。能と狂言のほかにも、人間国宝・鶴賀若狭掾氏による新内と車人形、また、猿八座による浄瑠璃、日本舞踊、地唄舞、舞楽法会、落語等の公演も開催されました。また、前衛舞踏の公演も行われ、これまでにタケノウチアツシ氏や吉本大輔氏が上演しています。
リサイタルの開催も多く、伝統音楽と現代音楽の両方の公演が行われています。日本人ピアニストによるショパン演奏といった西洋音楽から、八雲琴、平家琵琶、三味線、尺八、琴等の日本伝統音楽の演奏会も開催されています。
1987年春、戒厳令の真っ只中、稲盛財団・京都賞受賞の通知が日本から届きました。非常に高名な賞であり、45万ドルの賞金額は当時想像しがたいものでありました。1920年にフェリクス・ヤシェンスキによって国立博物館に寄贈されて以来、日の目を見ることのなかった日本コレクションに、この賞金を充てるアイデアは、以前に短期間だけ同コレクションが公開された時の思い出から生まれました。1944年のドイツ軍による占領時で、クラクフの叔父の家に潜伏し、何週間も外出していませんでしたが、織物会館での日本美術展には何としても行きたかったことを覚えています。
当時の私は19歳で、3年前から絵描きを目指していましたが、まだ美術展を鑑賞する機会はありませんでした。そのため、この日本美術展は私にとって初めての展示会となりました。北斎の「神奈川沖浪裏」、歌麿の美人画や広重の「大はしあたけの夕立」は、私の記憶に刻まれ、どこに行っても永遠に私の物となりました。その思いを胸に、1987年11月10日の京都賞授賞式で述べたスピーチです:
この度、会長より京都賞を受賞するにあたり、特別な過去の出来事をお伝えしたいと思います。戦時中のドイツ占領下にクラクフで開催された日本の美術展を鑑賞し、これまで目にしたことのない、明るさ、光、規則性、調和と出会いました。それは、私の人生における、真の芸術との最初の出会いでした。
私は、幸せです。本日受章する京都賞は、ポーランドと日本のみならず、クラクフ日本美術技術博物館という理念を通して、20世紀と21世紀の架け橋となることでしょう。
1993年5月28日、JR東日本労働組合長出席の下、博物館の起工式が行われました。神主によって、建設予定地に宿る神々がこの地を永遠に守ってくれるよう祝詞が上げられました。ヴァヴェル城を背景に行われた神々との約束の儀式に心から感動しました。
1994日11月30日、開館日の朝、磯崎新さん、彫刻家である宮脇愛子夫人、そして妻のクリスティナと私の4人は、ヴィスワ川の向こうから共同の傑作品を眺めていました。朝靄に包まれてうっすらと見える屋根と壁のラインが川の流れと平行するかのように写り、50年以上も前にドイツ占領下のクラクフで感じた時と同様に、それは美しい調和を醸し出していました。忘れることのなかった北斎の「神奈川沖浪」が、大胆に優しく、ヴァヴェル城と向かい合う日本の建築物に溶け込んでいました。
どうして日本に特別な関心を抱いたのか、いくつもの可能性があったにも関わらず、なぜこんなにも遠い国に興味を持つことになったのかと、よく聞かれます。
答えは簡単です。日本では、心から親しみ持てる人々と出会いました。言葉も分からず、習慣もほんの少ししか知りませんが、日本人のことをとてもよく理解できるのです。日本人は、真面目で、責任感があり、誠実さを備え、伝統を守ります。それらは全て、私が自分の生涯において大事にしている精神です。日本と出会ったおかげで、このような美しい精神が、私の想像の中だけで存在しているわけではないことが分かりました。そのような精神が、本当に存在するのです。
「MANGGHA館」として多くの人々に愛されてきた日本美術技術博物館が今年創立20周年を迎えます。この記念すべき年に当たりこの博物館を支えてくれたポーランドの皆様に心よりお祝い申し上げます。
クラクフのヴァヴェル城の丘からヴィスワ川を望むと、対岸に波打つ屋根をもつユニークな建物-MANGGHA館-が目に入ります。MANGGHA館は、浮世絵を中心とする素晴らしい日本の美術・工芸品(約1万点)や最先端の日本の技術を展示するとともに、日本関連の様々な企画や催しを開催し、来訪者を魅了してきました。国内外から年間10万人の来訪者を数え、日本文化に触れる場として、日本との交流の場として、ポーランドはもとより中東欧における中心的存在となっています。
MANGGHA館の起源は、70年前、当時19歳のアンジェイ・ワイダがフェリクス・ヤシェンスキの収集した日本美術品に出会って強い感銘を受けた頃に遡ります。それから43年後の1987年、ワイダ監督は、映画監督・舞台演出家としての功績により「京都賞」を受賞し、クリスティーナ・ザフファトヴィチ夫人とともに、その賞金全額を70年前に抱いた感動を多くの人々と共有できるヤシェンスキ収集品美術館設立のために使うことを決意します。そのため夫妻は、京都クラクフ基金を設立します。監督の夢と熱意に賛同する人々の輪はポーランド日本両国に広がり、政府その他各界著名人の支持と協力、そして13万以上の人々の募金も集まりました。
博物館は、1994年11月30日に開館式を迎えました。開館式は、ワレサ大統領や高円宮同妃両殿下のご臨席を得て、博物館の門出を華やかに祝いました。ヤシェンスキが葛飾北斎の北斎漫画にちなんで「MANGGHA」の雅号を名乗ったように、この博物館は「MANGGHA館」という愛称で呼ばれるようになりました。2002年7月の天皇皇后両陛下のご訪問や昨年6月の安倍総理夫人の訪問は、日本におけるこの博物館に対する高い関心と敬意を示すものです。
日本文化に対する愛着は、ヤシェンスキの収集に始まり、ワイダ監督夫妻によるMANGGHA館へと引き継がれてきました。この博物館がクラクフのランドマークとして定着し、ポーランド国民から親しまれてきたことは、ポーランドの日本に対する友情を象徴するものであります。この間のワイダ監督、クリスティーナ夫人をはじめとするポーランドの友人たちによる献身と尽力に対し改めて心より感謝を申し上げます。20周年を機にMANGGHA館の一層の発展を願ってやみません。
ガゼタ・ヴィボルチャ紙への山中大使寄稿文-Manggha館20周年(ポーランド語)
駐ポーランド日本国大使
山中 誠